秋の長雨ってやつは最高に気分を鬱々としてくれる。あれだけ暑かった夏が嘘みたいに日を追う毎に気温が下がっていく。このまま呆気なく冬になって今年も終わってくんだろうなと思うと遣る瀬無い。

とかオセンチな気持ちになってる場合ではないんじゃ。

寂しくなったのは引越しのお陰ですっからかんになった懐具合よ。お昼に外食することをすっかりやめて、握り飯を持参してまで節約してるってのに、雨の日は家から駅まで行くのに自転車が使えないのでバス代が余計にかかってしまう。

高々220円といっても往復で440円。駐輪場代の100円を考えると、雨の日は晴れの日のおよそ4.5倍お金がかかってしまうことになる。

お昼におにぎりを持って行くような奴にとってこの差がどれ程のものかは推して知るべし。

あー切ないなぁ。

逞しく生き抜くぞー

ようやく

引越しも直前になってから焦って新居のネット回線の手続きを行ったため、引っ越してからすでに2週間経った今日ようやくネット環境が整った。ほんと自分のズボラな性格が呪わしい…

引越しを考えている方は、もしネットを引っ越したその日から使いたいならば、少なくとも入居3週間前までに手続きを終えておいた方がいい。

ドコモ光を契約で一番待たなければならないのはネットの開通工事。契約した日から向こう2二週間はだいたいすでに工事の日程が埋まっているので、業者の方に来てもらえるのは最短でもそれ以降だし、もちろんこちらの都合もあるのでそれを加味すればさらに時間がかかる。この工事さえ終わってしまえば即日からネットが利用できる。なので、少しバタバタしてしまうかもしれないけど、引越し当日に工事をしてもらうのが得策だと思う。

結局新居に住み慣れるには早くストレスフリーな環境を整えるのがベストなので、引越しでゴタゴタしていたとしてもさっさと工事を終えてしまったほうが得策なので。

 

ネットのない環境がどんだけ過酷だったことか…

映画も観れないし、ブログも更新できないし、調べ物も携帯だと不便だしでとにかくストレスのたまる2週間を過ごした。

喉元過ぎればなんとやらってやつで次に引越しするときも同じことを繰り返してしまうんだろうなぁ。

 

というわけでまた明日からブログをシコシコ書いていきたいです。

 

定式化された

インターネットで調べ物をしていると定式化された文章が溢れていることに気がつく。「〜をするべき10の理由」とか「〜することのメリット」などなど。

だいたいこの手の題名が付けられた記事は、単語のレベルから段落分け、文体に至るまで大抵似通っていて、どこかよそよそしい印象を受けてしまう。

型で押して作られたかのようなのっぺらぼうな文章で、書き手の姿がそこから浮かび上がってこないんだ。文学部出身だからかもしれないが、やっぱりどこかで「書く」って行為を無味乾燥な工程にしてしまうことに違和感がある。

頭のなかに蠢く言葉になる前の無形の渦(結局この混沌でさえ自分の言語によって生み出されるものなのだけど)から、言葉を掬い上げ、文へと織り込んでゆくことが書くことだとするならば、ありふれた鋳型に頼るのではなく、手の跡がくっきり残ったような文章が本当の文章だ。

そうして、書き手が苦労しながら文を編み上げてゆくことで、頭のなかの混沌とした渦も思考や思想を表すより豊かな苗床となる。そしてそうした土壌から再び色々と思案しながら文を組み立ててゆく。

書くという行為はこの果てしない循環に入り込むことだと僕は思う。

なんでもかんでも定形に押し込んで切り出したような文章は苦手なんだ。

断捨離

1週間ほど前から引っ越しのために部屋を片付けているのだけど、捨てても捨てても物が減らない。嫌気が刺してきて、気がついたらそんなことをしている暇なんてないのに、映画を見たり、携帯をいじったりしてしまう。

そんな片付けの合間に、とある断捨離ブログを読んでいたら、「使えなくなった物だけ捨てるのではなく、好きではない物も捨てましょう」的なことが書いてあって、これだと思った。

そもそも、数年間のうちに溜め込んだ大半の物が、壊れたから買い足したというのではないから、物の量を減らそうとするときに、使えるか使えないかという基準で整理しているうちは全く片付かないことに気がついた。

めちゃくちゃシンプルな理屈。

 

鬼になって断捨離に励みます。

打ち込むこと

全身全霊で何かに明け暮れることができる人は幸せそうだしかっこいいなぁと思う。そんな人は僕のように何をやってもどこか煮え切らないような人が想像もできないようなところへとさっさと行ってしまう。

あらゆる感覚が麻痺したまま、目の前のちんけな快楽に身を任せているうちに1日が過ぎてゆく。鈍くて捉えどころのない不安は、当然、今の生活や環境を一変させる原動力にはなり得ないんだ。床に電流を流して育てられた犬は、電流が流れていない床もあるゲージに入れられても、全てを諦めて電流が流れている床から動こうとしないという鬼畜な実験結果があるらしいけど、ぼんやりした危機感や不快感を抱きながら、1日1日を誤魔化してゆくなんてまさにそれだなぁと思う。

今日から頑張るぞって気持ちも、毎朝そう思っているうちに、日常に飲み込まれてゆくんだよぁ。

 

そうして

中野区に住んで4年になる。大学に入学してからほぼ2年おきに引越しを繰り返していたので、ここ最近では一番長く住んだ街となった。

4年間って数字にしてしまえば大したことがないように感じるのだけど、すっかり忘れていたものやずーっと探していたものが片付けている最中にドサドサ出てくると、4年間の重みみたいなものを実感させられる。

大学入試の頃の受験票や、大学の授業の配布資料、サークルを引退する際にもらった写真…

あれこれと溜め込んだものを目の前にしていると、否が応でも自分はこの間どれほど成長したのだろうという疑問が浮かんでくる。もちろん幾許かは成長したのだろう。でもどうやっても、それが4年間に見合っただけのものなのか、あの時別の道をとってレバよかったのではないかという後ろ向きな感情は拭い去れない。

 

そして夏の終わりってのはそんな不恰好で情けない気持ちを何倍にも高めてくれる。

そんなオセンチな気持ちで部屋の片付けをしています。

 

 

 

新居

新居の契約も最終段階に入り、台風のなか入居する家の鍵を受け取りと、部屋の状態のチェックをしてきた。玄関からキッチンそしてリビングと傷や汚れの有無のチェックは淡々と進んで行ったのだけど、トイレに来た時最悪なトラブルが発生。なんとトイレからボットン便所見たいな芳醇な香りが漂ってくるではないか。

水回りはきちんとリフォームが入っていて新品同様だったので、油断して内見の際にしっかりとオイニーまでチェックするのを忘れていたのだ。

尋常じゃない匂い。例えるならば、森の中の湧水から汲んできた水と挽きたての豆を使って淹れたコーヒーにうんこを入れて煮立てたような匂い。座ってじっくりとうんこをするどころか、ちょいっとおしっこすることさえ躊躇われるような高純度な香り。

ここで少し焦った様子の不動産屋さんが便器に水が溜まっていないことに気がつく。どうやらトイレの排水トラップがうまく働いてなくて、下水の匂いが直に上がって来てたようだったとみんなで安堵して、再び部屋の点検作業に戻る。

「いやーやばかったっすね」とフランクな口調で点検作業を続ける不動産屋さん。

「こんなんじゃ、うんこできないっすもんね」と僕。

って軽口叩きながら、部屋をウロウロしていたのだけど、実は何も解決していなかったのだ。点検も無事終わって、不動産屋さんともう匂いはしないと思うけど一応もう一回トイレ見ておきますかという流れになってトイレのドアを開けてみると、もうとっくに消えているはずの匂いは未だに存在感を薄めることなくそこに漂っていたのです。

 

ゲホゲホ言いながら、トイレのドアを一旦閉めて不動産屋さんと作戦会議。

水を何度も流したりして、あれこれ試してみても全然改善する気配なし。

結局今日は何も打つ手がないということで解散になってしまった。あートイレってめっちゃ重要やぞ!どうすんねん…

とまぁ先が思いやられるのです。涙