トロイ
元旦からなぜか映画『トロイ』を観た。
2004年に公開された映画で主演はブラピ。
ウィキぺディアを観てみると、史実を大幅に改変していることに対して、賛否両論が起こったらしい。ウィキではとりわけ、塩野七生の酷評が挙げられている。
ギリシアの英雄叙事詩『イリアス』を土台にしている以上、こうした批判は加えられてしかるべきだと思うが、そもそも、『イリアス』や『オデュッセイア』は、ヨーロッパ文学の源流として、その時代ごとにそれに応じて解釈されてきた。だから、この映画もギリシアの英雄叙事詩を現代的に翻案したものだと考えれば、それほど違和感がないように思う。
それに、この映画では、神がことごとく作品の外に追いやられている点は興味深い。アキレスやヘクトルは、神に対して疑念を抱いている人物として描かれている。
というわけで、ここでは原作や史実との違いには、ひとまず目を瞑る。尤も、そのような文献学的な観点からこの映画について語る知識も才能もないのだけど。
この映画の面白さは、やっぱり人間ドラマにまとめられている点にある。
この映画をアキレウスの成長物語とみるならば、その段階を3つに区別できる。
1. 富と名誉
2. 愛と憎しみ
3. 名誉と愛
1.の段階で描かれているのは、戦争で武勲を挙げ歴史に名を刻むことを重要視するアキレウスと莫大な富と世界の支配を試みるアガメムノンの対立だ。トロイア戦争の最中にアガメムノンがアキレウスから捕虜であるブリセイスを取り上げたことにより、二人の間の決裂は決定的なものとなる。
2. で問題となるのは、愛と憎しみである。アキレウスは次第にブリセウスに愛情を抱き始める。また、愛するたった一人の従兄弟パトロクロスをヘクトルによって殺されてしまう。アキレウスは、ヘクトルに一騎打ちを挑み、彼を殺した後も、パトロクロスを失った怒りを収めることができず、ヘクトルの屍体を戦車にくくりつけ引きずり回し、侮辱する。ヘクトルの父でありかつトロイの王であるプリアモス王が自ら夜に紛れてアキレウスの許を訪ねる。この勇敢な行為にアキレウスは深く心を打たれ、プリアモスに屍体とブリセイスを城に持ち帰ることを許す。ここでも、父と子の強い愛情が描かれている。
3.では、オデュッセウスの献策、あの有名なトロイの木馬により、城の陥落が決定的になる。ここでは、戦争にもはや目もくれずブリセイスを混乱のなか探し回るアキレウスの姿が描かれる。(すでに、トロイ一の武人ヘクトルを倒しているのだから、もはや十分な武勲をあげていると言えなくもないのだけど…)愛するブリセウスがアガメムノンによって捕えられているところを救ったアキレウスは、その直後にパリスによって殺されてしまう。
こうして、三段階に分けてアキレウスを考察すると、アキレウスが人間らしい心を取り戻す人間ドラマとして描かれていることがはっきりとわかる。
戦争における名誉が全てだったアキレウスが愛へと目覚めていく物語なのだ。
ただ、この映画でのアキレウスの人間像からもなんとなくわかるように、登場人物の描かれ方の浅さは否定できない。『イリアス』において、アキレウスは作品の最初から優れた戦士でありながら、繊細な感覚を持った人物として描かれている。竪琴を弾きながら唄を歌ったり、自らの境遇に涙を流したりと、一言では描ききれない奥深さが『イリアス』のアキレウスにはある。
映画においては、そのような『イリアス』におけるアキレウスの人物像が、マッチョな男性像へと大幅に捨象されている。そして、アキレウスの成長物語へと組み替えられているのである。僕としては、むしろ、アキレウスの成長物語を描くよりも、そのまま『イリアス』のアキレウス像を引き継いだ方が、現代的な映画ができたのではないかと思う。
と、結局原作の法を持ち出してしまったけど、全体としてはとても面白かった。