アイアムアヒーロー(映画)ネタバレ含む

観よう観ようと思っているうちに公開が終わって、そのまま忘れ去られてしまった無数の映画の一つがこの『アイアムアヒーロー』。最近アマゾンプライムにあがったのでありがたく観させていただきやした。

 

 

 

グロい描写や突然ゾンビがドーンと登場するシーンが苦手なのでこの手の映画を見ることってほとんどないのだけど、ゾンビがうじゃうじゃ出てくる『アイアムアヒーロー』は、割とアクション映画のように鑑賞できた。

といってもグロい。

おそらくお決まりなんだろうけど、冒頭でのゾンビのウィルスに感染した主人公秀雄の彼女が、某ホラー映画をパロったようなブリッジで秀雄の方に向かってくるシーンは気持ち悪かった。ただストーリーが進んでいくにつれて出てくるゾンビの数も増してくるので、中盤あたりでゾンビの姿にほとんど慣れてしまう。

 

主人公は鈴木秀雄という冴えない中年で、漫画のアシスタントをしながら彼女とその日暮らしを送る。自分で連載を持つことを夢見ながらも芽が出ないまま十数年経ってしまい、彼女からは将来のことを考えるようにせっつかれている。漫画を描くことのほかに秀雄ができることと言ったら射撃くらいで、猟銃(?)が家の押入の中の金庫にしまってある。そんな秀雄のある意味ありふれた生活の閉塞感が、ウィルスの大感染という事件によって完全に破壊されてしまう。

ありふれた日常がゾンビの大量発生によって木っ端微塵になってしまう様子は結構丁寧に描かれていて面白い。

ただ、その後ゾンビに噛まれたにも関わらず、何故かゾンビ化しない女子高生ヒロミと一緒に富士山を目指して逃げるシーンや、逃げた末に行き着いたアウトレットでヒロミに加え、藪という元看護師と一緒にサバイバルを繰り広げる場面での美女と冴えない中年という組み合わせはちょっと寒かった。

そしてこれまたおきまりのように、アウトレットを生き残り脱出できたのはこの三人だけ。

そのままこれから車でどこに向かうのか、なんでゾンビに噛まれてもヒロミはゾンビ化しなかったのかなど、これから面白くなりそうなところで終わってしまう。

ただ、アマゾンのレビューは漫画を読んだ人からも評価されていて、いい感じにまとまっていたそう。

とかまぁ愚痴っぽく書いたのですが、実際面白かったです。おすすめ。

続きがきになるので漫画読んで見ようかな。

 

 

 

 

金曜日の夜、週末を前に華やぐ人たちに負けずとノージョブな僕も久しぶりにオールで友達と遊んだ。

茶店やファミレスで飲んだり食べたりした後、クタクタになりながらカラオケ店になだれ込んで一睡もせず始発の時間まで歌い狂った。

こんなに思う存分遊んだのって本当に久しぶりだった。早朝の池袋はゴミで溢れてるしそこら中にゲロが吐き捨てられているしで最悪なんだけど、そんな汚い街を照らす新しい太陽がまた切なさを掻き立てるというかオセンチな気持ちにさせてくれるんだよな。

みんななんとなく帰るのが惜しかったのか、カラオケ店から出た後は朝マック

食べ終わったら大人しく帰るかと思いきや、極め付けに『ペンギン・ハイウェイ』を観に行った。超グロッキーな状態で案の定途中でうとうとしてしまったけど、SFチックに青春を描くあたりはさすがって感じで楽しかった。

 

こんなに盛りだくさんな日は本当に久しぶりだった。

まだまだこれからやぞーって感じ。

 

 

群像

二十代も後半になってから、周りの友達の結婚式に参加することも増えて、一人取り残されているように感じてしまう。人生の階段ってやつを着実に登っている人を尻目に、自分は小銭をかき集めるようにバイトをしながらその日をやり過ごしていて、情けなくなる。その一方で、やりたいことをやっているという萎びかけた自負もまだ心の中でくすぶっていているんだ。

だから、最近は頭の中がごちゃごちゃしていて、いつも以上に何をやっていても手につかない。何か一つのことをしていても、やっている事と全く関係ない雑念がポンっと出てきて、考えをかき乱して行く。やらなければいけないことはわかっているのになぁ。この状況は、麓と中腹は濃い霧に覆われているのに山頂だけは微かに窺うことのできるのに似ている。目標は定まっているのに、そこに行くまでの道のりは不明瞭で、足を踏み入れた途端に、方向感覚を失ってしまう。闇雲に進んでいるうちに完全に道を見失ってしまうんだ。

頭の中が散らかったまま、焦燥に駆られるままに、あれこれと手を出している間は、何事かを成し遂げることは難しい。目標はあるのだから、ある程度そこに至る道を想定したら、あとは腰を据えて取り組まないとなぁ。

 

というなんか鬱屈した近況

アメリカン・サイコ

アメリカン・サイコを観たよ。

 

 

アメリカの資本主義的な社会を象徴するような映画。一応サスペンスなのだけど、いたるところから滲み出ているギャグっい雰囲気のお陰で、一人で見ていても全然怖さはない。友達同士で名刺を自慢し合うシーンや主人公が全裸でチェーンソーを振り回す場面は、普通に受けてしまう。

そして、このサスペンスと(本来意図したものではないはずの)ギャグ要素が絶妙に混じり合ったこの作品に、主演クリスチァン・ベイルの狂気じみた演技が超ハマっている。

主人公、一流会社の副社長であるパトリック・ベイトマンは、高級マンションに住み、日用品も選び抜かれたものを使い、高級なレストランで食事をとる日々に自己陶酔的な満足を覚えている。彼の友達も、良き仲間というよりは、自己を誇示し合うためにお互いに必要としているといった関係に過ぎない。

こうした華やかではあるが空虚な日常を送るベイトマンは、人を殺したり痛めつけたりすることに、エクスタシーを覚えるというある種の狂気を抱えている。

ホームレスや自分よりも優れている人間を平気で殺してゆく。ベイトマンを語る上で象徴的なのは、売春婦を二人家に招いて、3Pするシーンだと思う。このとき、ベイトマンは、売春婦に自分で考えた名前を与え、それに反応するようにと命じる。そしてカメラを置いてその前でセックスをしながら、カメラに向かってポーズを決める。ここもほとんどギャグみたいなシーンなんだけど、ベイトマンナルシシズムがはっきりと現れています。そこに他者性は全く存在していなくて、ベイトマンにとって女性とは自らの欲望を満たす道具にすぎず、思う通りの自己を映してくれる鏡でしかない。

このベイトマンと女性との関係は、あらゆる人間関係にも当てはまる。とにかく、ベイトマンは人の名前を間違える。これは、ベイトマン精神疾患が原因とももちろん考えることができるのだけど、そもそも、ステータスや肩書き先行で人物を判断するベイトマンにとって、そうしたものと関係なく付けられた名前は、覚えるに値しないものとも言える。

このせいで、正直なところ見ている方は混乱してしまうのだけど…。

そして殺しに殺して、最後は、追い詰められて助けを求めるのだけど、彼が殺しを楽しんでいた部屋は、この後も家を貸したい大家さんが跡形もなく片付け、彼自身の記憶違いから、なかったものとして片付けられてしまう。ここに拝金主義的な社会の恐ろしさが現れているのだろう。

なんか雑にまとめてしまったけど、結局ベイトマンが冒した殺人がどこまで本当で、どこまで彼の妄想だったのかは、よくわからない。

もう一度じっくり見てみたい。

とにかくいろんな意味で名作です。

 

おやぷみー

 

内見

今日は、埼玉の方まで一緒に住む予定の友達と内見に行ってきた。

最寄駅から、バスで12,3分という絶妙な距離にも関わらず、この炎天下のなか現地集合。クゥー不動産屋さんの鬼畜っぷりがたまりませんでした。まぁ、一軒家にも関わらず6万円という安普請なので、仲介手数料もしれているのでしょうけど。

といわけで、物件についた頃には汗だくだく。しかも、時間通りについたのに、それらしき人はどこにも見当たらず。仕方がないので電話をかけてみると、駐車場に停めてあった車から、おじさまが降りてきて、コロコロ走ってやってきた。

そこにおったんかいという気持ちでいっぱいだったのだけど、悪い人ではなさそうで、おしゃべりな地元の不動産会社のおじさんといった感じだった。ただ、話が回りくどかった。お金のない僕たちは、単刀直入に初期費用で幾ら掛かるか知りたかったのだけど、くどくどと前に住んでいた人の話とか最近の不動産業会の話だとかで煙に巻かれて、なんとなくぼんやりと家賃の3.5ヶ月分最初に必要だということがわかった。

それで次に、契約の話になったのだけどここで少し話がめんどくさいことになってしまった。僕はまだ定職についていないし、友達も内定は持っているものの、研修期間を終えてから正規雇用になるので今の所は実質的に無職だったので、契約主になることはできないと言われてしまった。しかも、不動産屋のおじさんこの時はやたら率直に「つまり無職ってことですよね」とか聞いてきて、精神的にダメージを負いました。

となると、残された道は、親に頭を下げて契約主になってもらうしかないということ。悲しみー

でも、家自体は築50年近いけど、中はリフォームが入っていて、あまり、住みにくいことはなさそう。ここで決めたいなー

 

終わり

 

オープンキャンパス

オープンキャンパスといえば、ひと昔前は、高校生が校舎を見学してその大学の雰囲気を摑むくらいの意味合いしかなかったのだけど、最近はどの大学もこのイベントにとても力を入れている。

オープンキャンパスのためにたくさんの学生が集められて、受付や道案内、キャンパス内のツアーガイドや体験授業の補助などの仕事が割り当てられる。正門を入ると、学生のお手伝いさんが、大学名の入った手提げバックを渡してくれる。そこには、お金のかかってそうな大学のパンフレットや大学オリジナルのボールペンなどが入っている。体験授業も、各学科がいくつか開講していたりして選り取り見取りだし、学生がキャンパス内を案内してくれたりする。疲れたら休憩所も用意してあって、学食でご飯を食べることもできる。

といった感じで、もはやほとんどの大学でオープンキャンパスは一大イベントになっているのです。そして、高校生のなかには、お母さんと一緒にくる人や、一家全員でやってくる人もいる

たまたまオープンキャンパス開催中の某大学の前を友達と通ったとき、友達が、「最近のオープンキャンパスって親も来るのやばくない?過保護すぎだし、自分で進学先くらい決めろよって思うわ」と言いった。僕も「確かに、高校生の時オープンキャンパスなんてそもそも行かなかったわ」と返事をしたのだけど、後日よく考えてみると、自分もバッチリ親と行っていたことに気がついた。いやーっ地方から東京の大学に見学しにいったから親がついてきたんだろうけど、自分の記憶って当てにならないなぁと思ったよ。

それに、今の自分よりもさらに高校生の時の自分は決断力も行動力もなかったと思うと、恥ずかしいというか悲しいというか…

と同時にヒトって自分でも気がつかないうちにだんだん成長してるんだなぁとしみじみ感じた。今だったら国内であればどこでもいけるもんなぁ。

そうして、もし子供ができて、その子が高校生になったら、自分も我が子のオープンキャンパスについていくなんてこともあるのかもしれない。いやー感慨深い、そしてその時には、自分が親についてきてもらったことなんてすっかり忘れてしまっていて、子どもに、「自分が高校生の時には一人で東京まで出てオープンキャンパスにいったんだぞ」とか言ってしまっているのかもしれない。

そして、ひょんなことからそれが記憶違いだったことに気がついて、またちょっと顔を赤くするのかもしれない。

だから、これほど「かもしれない」という妄想をさせてくれたオープンキャンパスの勘違いに感謝しております。

 

 

バント

平成最後の夏、充実させるぞという意気込みで、ToDoリストを作ってみた。

無鉄砲な計画を立ててしまったけど、どれくらい達成できるのだろう。自分がやりたいことをリストアップして、優先順位をつけていく。こうするだけで、やりたいこと・やらなくちゃならないことがすっきりする。手当たり次第無計画に手を出してしまう癖があるので、少しでも、優先順位に従ってやらなくちゃいけないことを消化できればいいなぁ