断捨離

1週間ほど前から引っ越しのために部屋を片付けているのだけど、捨てても捨てても物が減らない。嫌気が刺してきて、気がついたらそんなことをしている暇なんてないのに、映画を見たり、携帯をいじったりしてしまう。

そんな片付けの合間に、とある断捨離ブログを読んでいたら、「使えなくなった物だけ捨てるのではなく、好きではない物も捨てましょう」的なことが書いてあって、これだと思った。

そもそも、数年間のうちに溜め込んだ大半の物が、壊れたから買い足したというのではないから、物の量を減らそうとするときに、使えるか使えないかという基準で整理しているうちは全く片付かないことに気がついた。

めちゃくちゃシンプルな理屈。

 

鬼になって断捨離に励みます。

打ち込むこと

全身全霊で何かに明け暮れることができる人は幸せそうだしかっこいいなぁと思う。そんな人は僕のように何をやってもどこか煮え切らないような人が想像もできないようなところへとさっさと行ってしまう。

あらゆる感覚が麻痺したまま、目の前のちんけな快楽に身を任せているうちに1日が過ぎてゆく。鈍くて捉えどころのない不安は、当然、今の生活や環境を一変させる原動力にはなり得ないんだ。床に電流を流して育てられた犬は、電流が流れていない床もあるゲージに入れられても、全てを諦めて電流が流れている床から動こうとしないという鬼畜な実験結果があるらしいけど、ぼんやりした危機感や不快感を抱きながら、1日1日を誤魔化してゆくなんてまさにそれだなぁと思う。

今日から頑張るぞって気持ちも、毎朝そう思っているうちに、日常に飲み込まれてゆくんだよぁ。

 

そうして

中野区に住んで4年になる。大学に入学してからほぼ2年おきに引越しを繰り返していたので、ここ最近では一番長く住んだ街となった。

4年間って数字にしてしまえば大したことがないように感じるのだけど、すっかり忘れていたものやずーっと探していたものが片付けている最中にドサドサ出てくると、4年間の重みみたいなものを実感させられる。

大学入試の頃の受験票や、大学の授業の配布資料、サークルを引退する際にもらった写真…

あれこれと溜め込んだものを目の前にしていると、否が応でも自分はこの間どれほど成長したのだろうという疑問が浮かんでくる。もちろん幾許かは成長したのだろう。でもどうやっても、それが4年間に見合っただけのものなのか、あの時別の道をとってレバよかったのではないかという後ろ向きな感情は拭い去れない。

 

そして夏の終わりってのはそんな不恰好で情けない気持ちを何倍にも高めてくれる。

そんなオセンチな気持ちで部屋の片付けをしています。

 

 

 

新居

新居の契約も最終段階に入り、台風のなか入居する家の鍵を受け取りと、部屋の状態のチェックをしてきた。玄関からキッチンそしてリビングと傷や汚れの有無のチェックは淡々と進んで行ったのだけど、トイレに来た時最悪なトラブルが発生。なんとトイレからボットン便所見たいな芳醇な香りが漂ってくるではないか。

水回りはきちんとリフォームが入っていて新品同様だったので、油断して内見の際にしっかりとオイニーまでチェックするのを忘れていたのだ。

尋常じゃない匂い。例えるならば、森の中の湧水から汲んできた水と挽きたての豆を使って淹れたコーヒーにうんこを入れて煮立てたような匂い。座ってじっくりとうんこをするどころか、ちょいっとおしっこすることさえ躊躇われるような高純度な香り。

ここで少し焦った様子の不動産屋さんが便器に水が溜まっていないことに気がつく。どうやらトイレの排水トラップがうまく働いてなくて、下水の匂いが直に上がって来てたようだったとみんなで安堵して、再び部屋の点検作業に戻る。

「いやーやばかったっすね」とフランクな口調で点検作業を続ける不動産屋さん。

「こんなんじゃ、うんこできないっすもんね」と僕。

って軽口叩きながら、部屋をウロウロしていたのだけど、実は何も解決していなかったのだ。点検も無事終わって、不動産屋さんともう匂いはしないと思うけど一応もう一回トイレ見ておきますかという流れになってトイレのドアを開けてみると、もうとっくに消えているはずの匂いは未だに存在感を薄めることなくそこに漂っていたのです。

 

ゲホゲホ言いながら、トイレのドアを一旦閉めて不動産屋さんと作戦会議。

水を何度も流したりして、あれこれ試してみても全然改善する気配なし。

結局今日は何も打つ手がないということで解散になってしまった。あートイレってめっちゃ重要やぞ!どうすんねん…

とまぁ先が思いやられるのです。涙

 

アイアムアヒーロー(映画)ネタバレ含む

観よう観ようと思っているうちに公開が終わって、そのまま忘れ去られてしまった無数の映画の一つがこの『アイアムアヒーロー』。最近アマゾンプライムにあがったのでありがたく観させていただきやした。

 

 

 

グロい描写や突然ゾンビがドーンと登場するシーンが苦手なのでこの手の映画を見ることってほとんどないのだけど、ゾンビがうじゃうじゃ出てくる『アイアムアヒーロー』は、割とアクション映画のように鑑賞できた。

といってもグロい。

おそらくお決まりなんだろうけど、冒頭でのゾンビのウィルスに感染した主人公秀雄の彼女が、某ホラー映画をパロったようなブリッジで秀雄の方に向かってくるシーンは気持ち悪かった。ただストーリーが進んでいくにつれて出てくるゾンビの数も増してくるので、中盤あたりでゾンビの姿にほとんど慣れてしまう。

 

主人公は鈴木秀雄という冴えない中年で、漫画のアシスタントをしながら彼女とその日暮らしを送る。自分で連載を持つことを夢見ながらも芽が出ないまま十数年経ってしまい、彼女からは将来のことを考えるようにせっつかれている。漫画を描くことのほかに秀雄ができることと言ったら射撃くらいで、猟銃(?)が家の押入の中の金庫にしまってある。そんな秀雄のある意味ありふれた生活の閉塞感が、ウィルスの大感染という事件によって完全に破壊されてしまう。

ありふれた日常がゾンビの大量発生によって木っ端微塵になってしまう様子は結構丁寧に描かれていて面白い。

ただ、その後ゾンビに噛まれたにも関わらず、何故かゾンビ化しない女子高生ヒロミと一緒に富士山を目指して逃げるシーンや、逃げた末に行き着いたアウトレットでヒロミに加え、藪という元看護師と一緒にサバイバルを繰り広げる場面での美女と冴えない中年という組み合わせはちょっと寒かった。

そしてこれまたおきまりのように、アウトレットを生き残り脱出できたのはこの三人だけ。

そのままこれから車でどこに向かうのか、なんでゾンビに噛まれてもヒロミはゾンビ化しなかったのかなど、これから面白くなりそうなところで終わってしまう。

ただ、アマゾンのレビューは漫画を読んだ人からも評価されていて、いい感じにまとまっていたそう。

とかまぁ愚痴っぽく書いたのですが、実際面白かったです。おすすめ。

続きがきになるので漫画読んで見ようかな。

 

 

 

 

金曜日の夜、週末を前に華やぐ人たちに負けずとノージョブな僕も久しぶりにオールで友達と遊んだ。

茶店やファミレスで飲んだり食べたりした後、クタクタになりながらカラオケ店になだれ込んで一睡もせず始発の時間まで歌い狂った。

こんなに思う存分遊んだのって本当に久しぶりだった。早朝の池袋はゴミで溢れてるしそこら中にゲロが吐き捨てられているしで最悪なんだけど、そんな汚い街を照らす新しい太陽がまた切なさを掻き立てるというかオセンチな気持ちにさせてくれるんだよな。

みんななんとなく帰るのが惜しかったのか、カラオケ店から出た後は朝マック

食べ終わったら大人しく帰るかと思いきや、極め付けに『ペンギン・ハイウェイ』を観に行った。超グロッキーな状態で案の定途中でうとうとしてしまったけど、SFチックに青春を描くあたりはさすがって感じで楽しかった。

 

こんなに盛りだくさんな日は本当に久しぶりだった。

まだまだこれからやぞーって感じ。

 

 

群像

二十代も後半になってから、周りの友達の結婚式に参加することも増えて、一人取り残されているように感じてしまう。人生の階段ってやつを着実に登っている人を尻目に、自分は小銭をかき集めるようにバイトをしながらその日をやり過ごしていて、情けなくなる。その一方で、やりたいことをやっているという萎びかけた自負もまだ心の中でくすぶっていているんだ。

だから、最近は頭の中がごちゃごちゃしていて、いつも以上に何をやっていても手につかない。何か一つのことをしていても、やっている事と全く関係ない雑念がポンっと出てきて、考えをかき乱して行く。やらなければいけないことはわかっているのになぁ。この状況は、麓と中腹は濃い霧に覆われているのに山頂だけは微かに窺うことのできるのに似ている。目標は定まっているのに、そこに行くまでの道のりは不明瞭で、足を踏み入れた途端に、方向感覚を失ってしまう。闇雲に進んでいるうちに完全に道を見失ってしまうんだ。

頭の中が散らかったまま、焦燥に駆られるままに、あれこれと手を出している間は、何事かを成し遂げることは難しい。目標はあるのだから、ある程度そこに至る道を想定したら、あとは腰を据えて取り組まないとなぁ。

 

というなんか鬱屈した近況