ルソーについて気になるところだけ2

こんばんわ。

 

何と新型のMacBook Proの発売が発表されました。そして、先週の日曜日にMacBook Proを買った僕は、このニュースを聞いて涙で枕を濡らしました。そんな何の前触れも無く出さんといてくれよ…まぁ文章を書くかネット見るかくらいしかパソコンを使わない僕にとって、新型である必要はまったくないんだけど、できれば新しいやつが欲しいのが人情ってものです。

と、グチグチ言っていてもしょうがないので、早く買った分だけブログを早く再開することができてよかったと、無理矢理自分に思い込ませることにします。

 

ここから本題に入って行きたいと思います。昨日は、ルソーの歴史認識について簡単に書いてみたのですが、まず簡潔にそれをまとめたいと思います。

ルソーが生きた当時のフランスは、文化的・政治的にかつてないほどの隆盛を極めていました。こうした繁榮のなか、人々は技術的進歩を通して社会が恒常的に発展してゆくことを信じ他のでした。しかし、文明の批判者たるルソーの目には、こうした進歩発展が欺瞞に映ったのです。昨日も引用した言葉ですがもう一度引用しておきます。

「われわれの学問・芸術が完全なものへと進歩するにつれ、われわれの魂は腐敗した」(『ルソー』福田歓一, 117頁, 孫引きで申し訳ありません)

 

 

と、ここまでが昨日のまとめなのですが、誤解していた部分があるので、まずそこを訂正します。最後に載せた引用ですが、これはルソー37歳のときに刊行され一躍その名を世に知らしめることとなった『学問芸術論』(1750)から抜き出してきたものです。遅咲きのルソーにとって、初めての学術論文であるこの『学問芸術論』には、まだ生硬な部分も数多く見出されます。ルソーの歴史認識がより洗練された形で世にでるのは、『学問芸術論』が発表されてからさらに5年後に発表された彼の代表作の1つ『人間不平等起源論』(1755)によってです。福田さんに従って、この間のルソーの思想的発展を簡潔にまとめると次の2点に集約できます。

1つめは、『学問芸術論』においては、未開から文明への発展、そしてそれに伴う純粋な習俗からの堕落を例証するために、様々な文名が並列的に並べられているのですが、それをまとめあげげ、「人類全体の歴史を一つの起源から不平等、その事由としての人間の相互依存関係の展開」として描きだすところまでは到達していなかったということ。二つ目は、文明が進展するにつれて堕落していくという「徳性」という概念にはっきりとした輪郭を与えることができていないという点です。『人間不平等起源論』においては、「社会制度以前、すなわち相互依存-不平等に先立つ自然を原点として設定」することに成功しているのです。

すなわち、ルソーの思想、歴史認識を理解するうえで不可欠な「自然」という概念は、『学問芸術論』においては、まだ明確に打ち出されていないかったにも関わらず、この論稿からのみ引用したのは、明らかに正確さを欠く叙述でした。

 

ということで、今日はここまでで終わります。ブログというか、ただの読書記録ノート(それも極めて私的な)と化しているますが、時機にきちんと一つに纏めたいと思います。