もう10月

昨晩の台風は凄まじかった。築40年近いおんぼろの家に住んでいる身にとっては、本当に恐怖でしかなかった。猛り狂う暴風は部屋の窓をぶっ壊しそうだったし、家全体がガタガタ揺れて今にも崩壊しそうだった。

そんななか起こったのは、それまでの恐怖を完全に消し去ってしまうような出来事だった。

なんとなんと嵐の夜に紛れて、家にGが出現したのだ。

僕は、自分の部屋から狭い階段を降りてキッチンまで行く途中にあの黒く滑り光るやつに遭遇し、パニックに陥りほとんど階段を転げ落ちるように降りたせいで、情けないことに指を切ってしまった。そうこうしているうちにGは二階の部屋へと侵入。

しかも今まで見たことのないようなサイズのひこうタイプ。どう考えても人りで対処できるようなGではなかったので、寝酒でヘロヘロになっっている同居人を叩き起こして、二人で紙を丸めた棒を持って二階へとGの討伐へと向かった。

階段を慎重に登ってゆく同居人。僕は後ろで同居人を鼓舞する役目をになった。

部屋までたどり着き、部屋を見渡しながらGを探す。

すぐに本棚の側面でじっとしているGが見つかった。

同居人は酔っ払った同居人は、すかさずGを叩き潰しにかかった。

そしてここで二度目の悲劇が起きた。なんとGが僕の方へと飛んできたのだ。

僕は、ヒーっと短い悲鳴をあげて、体をよじって逃げようとし、足を捻った。

しかし、どうにか逃れて、手前30センチというところでGは地面に降り立ち、同居人の手によって無事屠られた。

この一連の最悪な出来事。

台風アンドG

この家での忘れられないエピソードの一つになることだろう…

僕は翌日急いでハッカの匂いがするアロマオイルを買いに無印へと向かった。

 

 

69

村上龍の『69』を読み終えた。

ポップで乱暴でセンチメンタルな小説だった。

おそらくこれほど60年代という時代が育み、創作の原動力になっている作家って村上龍以外にいないんじゃないかぁ。

『69』は混沌とした社会のなかをそこに埋没してしまうことなく生き抜いた人間にしか書けない小説だと思う。小説家はだいたい内省的で、時代のうねりのなか逞しく波に乗ってるというよりは、そうした渦中には直接関与せずに、冷静な目で外から眺めるようなタイプの人が多いイメージがある。

そして村上龍はこうしたタイプの小説家と対極に位置している。

おそらく村上龍自身がモデルとなっている『69』の主人公ケンは、社会的な状況というものに呑み込まれても黙って、メソメソなげくようなタイプではない。ベトナム戦争学生運動で揺れ動く社会のなかで自分が信じるもの(学校一の美人)を手に入れようとあらゆるものを利用する。あらゆるイデオロギーがこんがらがりながら自らの正当性を主張する時代で、ケンが志向するものは極めてシンプルだ。

純粋でありながら残酷なほど鋭利でアイロニカルな態度を社会に対して向ける主人公の眼差しによってあらゆるイデオロギーは空虚で滑稽に見えてくる。難解な理論や思想が、美少女と付き合うことという至極単純なことの前にあっけなく崩れ落ちてしまう様子は、どうしようもなく笑いを誘う。

いくらしゃちほこばって小難しい理屈を説いても、ケンみたいな青春を送ってみたかったなぁという気持ちは治らないし、自分の平凡で退屈な学生時代を鑑みると遣る瀬無い。あー学校一の美女とランデブーしたい人生でありました。

 

終わり。

69

昔『透明に限りなく近いブルー』を読んで以来、村上龍の作品には手をつけていなかったのだけど、友達が超おすすめしてくる上に貸してくれたので『69』を読み進めている。

村上龍が描く、世間の流れに冷ややかな態度を取りながら、セックス・ドラッグ・ロックンロールな生活を送る主人公像は、やっぱり『69』でも健在だ。ただ、『透明に限りなく近いブルー』に漂うどんよりした閉塞感は、『69』ではそのポップな筆致も手伝って薄まっている。

時代は題名の通り69年。全共闘時代の熱気と空虚さのなかで、あらゆる派閥から距離を取りながら生きる弁の立つ主人公は清々しいくらいにかっこいい。

村上龍ほど好き嫌いが分かれる作家もなかなかいないだろうけど、会話を生き生きと描きだす才能は抜群だよなぁと読むたびに感じさせられる。

最後まで読みきったら追記しようかな。

一饋に十起

寒さが身に沁みる。

もう外は息が白くなるくらい寒い。ガタガタ震えながら玄関の先でタバコを吸いながら、我があばら家を見上げると冬を果たして無事乗り越えることができるのか不安になってくる。家の彼方此方に隙間があって風が部屋に吹き込んでくるし、何故か廊下と部屋を区切るはずの扉はないし。本当に無い物には事欠かない家だなぁ。

すでに人生で過ごしたなかで一番過酷な冬になることがはっきりと想像できる。

 

それはそいうと最近はトップバリュの安さに感激する毎日を送っている。

あのクイックルワイパーの先につけるシートがトップバリュの「フローリングワイパー用ドライシート」30枚入りで88円…

有難や有難や…ちゃんとした花王のシートを買うと20枚入りで倍以上の値段がするので、かなりお買い得だと思う。もちろん品質は花王の方に軍杯が上がるのだけど、使ってみた感じトップバリュのやつもほとんど顕色なくフローリングの埃や髪の毛を取ってくれる。

こんな感じで、ちょっとお得な買い物をしたときに感じる慎ましい満足感が日々の楽しみになっている。オセンチボーイ

 

秋の長雨ってやつは最高に気分を鬱々としてくれる。あれだけ暑かった夏が嘘みたいに日を追う毎に気温が下がっていく。このまま呆気なく冬になって今年も終わってくんだろうなと思うと遣る瀬無い。

とかオセンチな気持ちになってる場合ではないんじゃ。

寂しくなったのは引越しのお陰ですっからかんになった懐具合よ。お昼に外食することをすっかりやめて、握り飯を持参してまで節約してるってのに、雨の日は家から駅まで行くのに自転車が使えないのでバス代が余計にかかってしまう。

高々220円といっても往復で440円。駐輪場代の100円を考えると、雨の日は晴れの日のおよそ4.5倍お金がかかってしまうことになる。

お昼におにぎりを持って行くような奴にとってこの差がどれ程のものかは推して知るべし。

あー切ないなぁ。

逞しく生き抜くぞー

ようやく

引越しも直前になってから焦って新居のネット回線の手続きを行ったため、引っ越してからすでに2週間経った今日ようやくネット環境が整った。ほんと自分のズボラな性格が呪わしい…

引越しを考えている方は、もしネットを引っ越したその日から使いたいならば、少なくとも入居3週間前までに手続きを終えておいた方がいい。

ドコモ光を契約で一番待たなければならないのはネットの開通工事。契約した日から向こう2二週間はだいたいすでに工事の日程が埋まっているので、業者の方に来てもらえるのは最短でもそれ以降だし、もちろんこちらの都合もあるのでそれを加味すればさらに時間がかかる。この工事さえ終わってしまえば即日からネットが利用できる。なので、少しバタバタしてしまうかもしれないけど、引越し当日に工事をしてもらうのが得策だと思う。

結局新居に住み慣れるには早くストレスフリーな環境を整えるのがベストなので、引越しでゴタゴタしていたとしてもさっさと工事を終えてしまったほうが得策なので。

 

ネットのない環境がどんだけ過酷だったことか…

映画も観れないし、ブログも更新できないし、調べ物も携帯だと不便だしでとにかくストレスのたまる2週間を過ごした。

喉元過ぎればなんとやらってやつで次に引越しするときも同じことを繰り返してしまうんだろうなぁ。

 

というわけでまた明日からブログをシコシコ書いていきたいです。

 

定式化された

インターネットで調べ物をしていると定式化された文章が溢れていることに気がつく。「〜をするべき10の理由」とか「〜することのメリット」などなど。

だいたいこの手の題名が付けられた記事は、単語のレベルから段落分け、文体に至るまで大抵似通っていて、どこかよそよそしい印象を受けてしまう。

型で押して作られたかのようなのっぺらぼうな文章で、書き手の姿がそこから浮かび上がってこないんだ。文学部出身だからかもしれないが、やっぱりどこかで「書く」って行為を無味乾燥な工程にしてしまうことに違和感がある。

頭のなかに蠢く言葉になる前の無形の渦(結局この混沌でさえ自分の言語によって生み出されるものなのだけど)から、言葉を掬い上げ、文へと織り込んでゆくことが書くことだとするならば、ありふれた鋳型に頼るのではなく、手の跡がくっきり残ったような文章が本当の文章だ。

そうして、書き手が苦労しながら文を編み上げてゆくことで、頭のなかの混沌とした渦も思考や思想を表すより豊かな苗床となる。そしてそうした土壌から再び色々と思案しながら文を組み立ててゆく。

書くという行為はこの果てしない循環に入り込むことだと僕は思う。

なんでもかんでも定形に押し込んで切り出したような文章は苦手なんだ。