定式化された

インターネットで調べ物をしていると定式化された文章が溢れていることに気がつく。「〜をするべき10の理由」とか「〜することのメリット」などなど。

だいたいこの手の題名が付けられた記事は、単語のレベルから段落分け、文体に至るまで大抵似通っていて、どこかよそよそしい印象を受けてしまう。

型で押して作られたかのようなのっぺらぼうな文章で、書き手の姿がそこから浮かび上がってこないんだ。文学部出身だからかもしれないが、やっぱりどこかで「書く」って行為を無味乾燥な工程にしてしまうことに違和感がある。

頭のなかに蠢く言葉になる前の無形の渦(結局この混沌でさえ自分の言語によって生み出されるものなのだけど)から、言葉を掬い上げ、文へと織り込んでゆくことが書くことだとするならば、ありふれた鋳型に頼るのではなく、手の跡がくっきり残ったような文章が本当の文章だ。

そうして、書き手が苦労しながら文を編み上げてゆくことで、頭のなかの混沌とした渦も思考や思想を表すより豊かな苗床となる。そしてそうした土壌から再び色々と思案しながら文を組み立ててゆく。

書くという行為はこの果てしない循環に入り込むことだと僕は思う。

なんでもかんでも定形に押し込んで切り出したような文章は苦手なんだ。