ルソーについて気になるところだけ1

こんばんみ

ここ最近の寝苦しさは尋常じゃない。アパートの一階に住んでいるから、窓を開けてもジメジメした重たい空気しか入って来ないし、冷房をつけるとあの人工的な冷気で身体が休まらない。そんなわけで、昨日は、殆ど明方になるまで寝ることが出来なかったのです…

つまりは、今日読み進める予定だった福田歓一さんの『ルソー』にあまり手を付けられていない。でもまあせっかく奇跡的にも今のところ毎日ブログを書き続けられているのだから、パッと目についたことだけでも書き留めておこうと思います。

まず興味深いのは、ルソーの歴史的認識だとおもいます。まず、17、18世紀にフランスは政治的にも文化的にも隆盛期を迎えます。広大な対外進出によって広大な殖民地を獲得し、内政的には絶対君主制によって太陽王を呼ばれたルイ14世(1638-1715)はフランスの政治権力を象徴的に現す人物であるといえますし、彼が建造を試みた(完成は死後になりますが)ベルサイユ宮殿は、こうした圧倒的な財力のもとで花開いた壮麗な文化を象徴していると言えるでしょう。この華麗な発展の元にあって、当時の人々にとって啓盲主義的な進歩史観を疑うなど思いもよらないことでした。つまり、当事の人々は、過去から未來に向けて、社会が発展してゆくものだと思い込んでいたのでした。文化の領域においてギリシア・ローマ文化が代表する古代と同時代のどちらが優れているかについての論争、すなわち新旧論争というものがありますが、ルソーが生きた時代18世紀も半ばになると、当事のフランスの人は、すでに自分達の文化がギリシア・ローマ文化を遥かに凌駕しているとさえ考えたようです。繰り返しになりますが、当時のフランス人は、文明の進歩と文化的繁栄に絶対的な自負を抱いていたのです。

話をルソーに戻しますと、ルソーは、こうしたフランス文化のなかに退廃の香りを鋭敏に嗅ぎつけました。ルソーは当時主流であった啓蒙主義歴史観に真っ向から対立する見解を提出するのです。文明の批判者たるルソーは、次のように喝破します。

「われわれの学問・芸術が完全なものへと進歩するにつれ、われわれの魂は腐敗した」

ルソーは、文明の進歩とともに、人間の持つ徳性と行ったものが逆に退化していくというテーゼを発表したのでした。これが、当事の人々の考えに水を差すようなものでした。

 

<続く>徳性が退化していくものであるとするならば、当然退化する以前の姿があるはずです。そしてそして、その退化する以前の状態すなわち自然の状態とおそらく「子ども」という概念の発見は密接に関係していると思われます。今日はここまで。