『女性学/男性学』気になったとこまとめ

 

 

千田有希の『女性学/男性学』を読んで。気になったらところだけちょろっと抜き出したメモ

 

普通、母性は人間とりわけ女性の本能に不覚根ざした感情だと考えられている。時代や場所が違えど、女性であれば当然抱くべき感情であると。母性が女性を構成する重要な要素として捉えられている為に、実の子を虐待したり、育児をネグレクトしたりする母親のニュースを聞いたら際にわたしたちが感じることは、そうした非情な行為に及んでしまった母親がある本能的な部分で機能不全を起こしているのではないかという疑念だ。普通の母性を持った母親であれば、あり得ない様な行為であり、義理の父が妻の連れ子に手を挙げるのとは、違った風に受け止められる事が多い。こうした印象の背後には、間違いなく母性に対するある種の社会的通念があると考えることができる。

 しかし、より広い歴史的視座から母性を考察して見ると、現代では当然だと思われている、本能としての母性が近代の発明であったことがあきらかになるという。千田有希は、このことについて次のように述べている。

「フランスの歴史家エリザベート・バダンテールは、『母性という神話』で、フランス革命以前のパリでは、生まれたばかりの子どもは田舎に里子に出され、乳母によって育てられ、四、五歳位になったら返してもらうということが普通だったということを指摘しています。」

むしろ、今日的な視点から観れば、生まれてから45歳くらいまでの子どもこそ、母親を必要としていると考えられているのではないだろうか。もしも、母親と子どもとの関係が、女性のなかに備わっている自然の力によって、結びつけられているとするならば、フランス革命以前まで行われていたという、産まれたばかりの子を里子に出す習慣を理解することは到底出来ない。わが子を自らの手で育てるという現代の常識が生じるためには、「子ども」という概念が必要なのだ。言いかえれば、この「子ども」という概念は、近代以前には、存在しておらず、「子ども」とは「未熟な大人」にすぎなかったのである。我々が幼稚な大人に対して可愛らしいなどという感情を抱かないのと同じように、当時の人びとは、子どもに対して、無邪気で純粋だといった感情を抱くことはなかったのだ。「子ども」という概念を生み出したのは、もちろんフランスの思想家のルソーである。この「発明」によって、子どもは、大人とまったく違った存在であり、特別な方法で庇護を受けるべき存在だと認識されるようになったのだ。

 

つづく